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 平和のありがたさと尊さを考え直す、平和を守る為の記念碑。

category - 沖縄 景色風景観光
2015/ 08/ 10
                 
『終戦記念日』1945年8月15日をまじかに

平和のありがたさと尊さを考え直す。

沖縄をはじめ各地に存在する平和のための記念碑。


ひめゆりの塔記念碑




年間約60万人余りの人々が平和学習や慰霊、そして、観光などでこの地を訪れている。




平和の塔は、 沖縄戦終結前の6月20日に亡くなった第62師団の将兵の方々を
悼んで建てた平和の塔(喜屋武岬/沖縄県糸満市喜屋武)メモリアル。




糸満市にある「平和創造の森公園」は平和で緑豊かな環境を創り、
次の世代へ引き継ぐこと」を目的に作られた公園。
近くには魂魄之塔の記念碑もある公園。
沖縄には今でも多くの戦争の壕の後を目にする。



その当時は日本を守る最後の砦として・・

その分、戦争の傷跡、鎮魂の為の記念碑も多い。

「ひめゆり学徒隊」や沖縄の戦火についてあまりにも知らない

関心があればネットでいろんな資料がみれる世の中

戦後70年、忘れかけている

『戦争の愚かさ、悲惨さ』を風化させてはいけない

と改めて思う。

戦争も相手が居てこそ始まるもの、世界中の人々が平和の大切さ

命の尊さを考えて欲しい。



第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年の4月、
沖縄に米軍が上陸し、熾烈な地上戦が展開されました。
そんな中、当時沖縄にあった21の男女中等学校から生徒たちが動員され、
戦場に送られたのです。女子学徒は15歳から19歳で、
主に陸軍病院等で看護活動にあたりました。
男子学徒は14歳から19歳で、上級生は「鉄血勤皇隊」(物資輸送・橋の補修等)に、
下級生は「逓信隊」(電線の修復・電報の配達等)に編成されました。
 当時、真和志村安里(現在の那覇市安里)
にあった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校からは、
生徒222名、教師18名が南風原の沖縄陸軍病院に動員されました。
そしてそのうち136名が戦場で命を落としたのです。
両校から動員された生徒・教師たちを戦後、「ひめゆり学徒隊」と呼ぶようになりました。
『ひめゆりを学ぶより』http://www.himeyuri.or.jp/JP/himeyuri.html-抜粋-




そして悪魔の爆弾、原爆が落とされる、戦争が終結

この悲惨とも言える数々の犠牲を越えての70年間の平和が維持されている

事を考えると平和が如何に大切なことかと考えさせられる。




正面から見ると原爆が落とされ象徴として残されたシンボルの
原爆ドームが見える平和記念公園原爆死没者慰霊碑




優しく閉じられた像の目は原爆犠牲者の冥福を祈り、天に向かって挙げた右手は
原爆が落とされた脅威を
横に伸ばされる左手は平和を願う、この神の「愛」と仏の「慈悲」を象徴した平和祈念像。



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コメント

非公開コメント
        

本当に・・
戦争は、あってはならないもの。
日本は 数々の犠牲になった方のおかげで
今、ここに在る・・
決して忘れてはいけないし
後世に伝え続けていかなくてはなりませんね。
今の子供たちは、教科書の中でしか知らない
戦争というもの
私は、戦争に似たゲームは無くして欲しいと思っています。
原爆記念像 両手にはそのような意味がこめられているのですね。
しっかりと胸に刻みつけておきます。
P☆
        
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